キリスト教用語リスト

キリスト教に関するQ&A

キリスト教会用語解説

1.天地の主である(使徒17:24)
・全てのものをお造りになった神。(創造の神)
・天地を支配しておられる。 神は天地の全てのものを創造され、それを放っておられたほではない。今もそれを運行し、支配し、導いておられるのである。地球や人類の未来も神のご計画の中で決定されている。
2.手でこしらえた宮にはお住まいにならない(使徒17:24)
・神は小さいお方ではない。真の神様は広大無辺の神であり、遍在の神である。どこででも祈りを捧げることが出来る。
・神はじっと待っておられる方ではない
。 3.不自由される方ではない(使徒17:25)
・人から供え物をされる必要はない真の神様はご自分で代価を払われ、人類を愛しておられる、与える神である。
4.いのちと息と万物をお与えになった方(使徒17:25)
・全てのものをお造りになった創造主。
・天地を支配しておられる。
5.神は霊である
・目には見えないが存在される。
6.神は人格者
・神は知性,感情,意志をもった生きた神。愛したり、語ったり、助けたり導いたり出来る。
・神は愛である。(ヨハネ第一4:8、イザヤ書43:4)
7.復活して生きておられる神
8.三位一体
・父なる神:創造主
・子なる神:キリスト
・聖霊なる神:神の霊

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イエス・キリスト

①救い主。子なる神。聖霊によってマリヤに宿り、神の御子として生れる。12人の弟子を率いて宣教し、神の国について説き、奇跡を行う。自らをキリスト(救い主)だとあかししたことで十字架につけられ、苦しみを受けるが約束していた通り三日目に復活し、40日間弟子たちの間に現れた後昇天し、神の右の座につき今も生きた神としてはたらかれる。救い主の誕生から、人間の罪の為に十字架につけられることまで、旧約聖書において預言されていた。 祈り
②人間と神との内的交わりであり、人格的な接触であり、対話である。決して一方的なものではない。
③いつでも、どこでも、どんな形でもなされるのであり、きまりはない。しかし、どのような祈りであろうとも「主、イエス・キリストの御名によって」祈るのである。(ヨハネ14:13-14)祈りは必ず聞かれる。

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聖霊

聖霊は唯一の神の第3位格と呼ばれています。聖書には「霊」「神の霊」「主の御霊」「聖霊」(詩篇51:11)、新約聖書には「キリストの御霊」「主の御霊」とも呼ばれています。  人がイエスを信じるように導かれ、信者と共に歩まれて、「助け主」とも言われています。

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三位一体

聖書に示されている神を言い表すために用いられたキリスト教の教理的用語です。 神は唯一の存在でありながら「父と子(イエス・キリスト)と聖霊」の三つの位各(人格)において存在すると言われています。 聖書に「三位一体」という言葉はありませんが、三神論ではなく、唯一一体でありながら、位格には明確な区別が示されております。

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聖書(せいしょ、Bible)

キリスト教会の信仰の源泉、規範である書物です。この聖書は、神の霊感によって書かれた言葉で、クリスチャンの唯一無二の道標なのです。旧約聖書39巻、新約聖書27巻、合計66巻の書物から成っています。知られざる大ベストセラーでもあります。

①神の霊感により書かれた。
②聖書は、人間に希望を持たせ、信仰による救いを受けさせ、教えと戒めと矯正と義の訓練の為に有益である。(テモテ第二 3:15-16) 洗礼
③イエス・キリストを救い主と信じた人が、その信仰を告白し、見える形で、神と人との前で公に表現すること。
④受洗は、キリストに継ぎ合わされることを意味し、 キリストの命にあずかることの告白、証しである。

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十字架(じゅうじか、Cross)

ローマ帝国時代、謀叛者に対して行った残虐な刑罰に十字架の刑罰がありました。十字架に架けられ亡くなったイエス・キリストは、その後復活し、弟子たちに人類の救いのための命の犠牲だった事を示されました。イエスの苦しみ、喘ぎ、孤独、屈辱に満ちた死は、実はそれを通して神が全人類の罪を贖罪し、これを救おうとする慈愛であり、人類への救いの意志と理解されました。十字架は人間に対する救いの呼びかけであり、シンボルなのです。

最も残忍、かつ野蛮な死刑の道具でありあました。 イエスのおられた時代において受刑者は、原則的に奴隷、強盗、死客、謀反を起こしたローマの属洲の重罪人に限られていました。 イエス・キリストは、私たちが神に対して犯した罪のために受けねばならなかった刑罰を、私たちに代わって受けられ、十字架につけられて死なれました。

十字架は死刑の道具であり、最も重い刑であった。神の子イエス・キリストが十字架にかかり殺されることは旧約聖書で預言されていた。イエス・キリストは、十字架で身代わりに死ぬことを知っておられたが、人間の罪の為に苦しみを受けてくださった。キリストは十字架につけられて3日目に復活し、死に勝利されているので、信じる私たちには十字架は救いのシンボルとなっている。

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教会(きょうかい、Church)

教会は、イエス・キリストの弟子たちの共同体が起源です。弟子たちはしだいに自分たちの使命を認識し、独立した集団を形成するようになり、自分たちの共同体を「エクレシア」と呼びました、これが日本語では「教会」と翻訳されております。

弟子たちは、イエスが十字架に架かって亡くなった後、神によって復活させられ、自分たちとともに存在し、自分たちを新しい民として呼び集めていること、そしてこの民を通じて世界中人々へ救いの福音伝道を継続していると信じました(教会の原点)。 その後、キリスト教は歴史の中で発展していきましたが、教会は多くの教派に分裂するに至りました。しかし、基本的に神の福音を世に伝える事を使命とする点では同じですので、今日では制度や教義の違いを越えて再統一を実現しようとする動きが高まっております。

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福音(ふくいん、Gospel)

「良い知らせ」という意味です。イエス・キリストによる救いの知らせを「福音」と呼びます。福音の中心はイエス・キリストご自身です。

神が、イエス・キリストによって全ての人に救いの道が開かれたことを伝えるもの。良い知らせ。罪の赦しと、イエス・キリストを通して神の子とされる和解の知らせ。

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洗礼 (せんれい、ギリシア語の音訳からバプティスマと呼ばれます)

新約聖書において、バプティスマのヨハネがヨルダン川で行っていた「浄化儀式」の日本語訳として考えられた言葉です。動詞「洗礼を施す」は、ギリシア語では「バプティゼイン」と言い、「バプティスマ」という言葉はここから来ていています。具体的に言いますと、全身を水に浸すか、または身体の一部に水を付ける儀式です。これは、イエス・キリストの救いにあずかる者(キリスト者・クリスチャン)と認める儀式であり、教会の信仰を受け入れることを告白した人に授けられます。洗礼を受けた人はもちろん教会のメンバーとなります。

信じて、新しい生まれ変わりを体験し、恵みによってキリストに従う人生の歩みに入れられた印しとして、水を頭に注いだり、水の中に入って全身を水につけたりします。 ギリシャ語でバプテスマとも言われます。

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牧師(ぼくし、Pastor)

厳密に言いますと、プロテスタント教会において「牧師」は教師資格者の称号ではなく、教会に仕えて礼拝で説教をし、聖礼典を執行し信徒を牧会する勤め(教会担任教師)を指します。プロテスタント教会には「聖職者」と「一般信徒」の区別はありませんので、牧師も信徒の一人です。その中で特に説教を語り、聖礼典(洗礼、聖餐)を行う任務を教会によって与えられているのが牧師です。

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クリスチャン(Christian)

クリスチャンは、キリスト(Christ クライスト)の派生語でキリスト教の信徒(洗礼を受けたもの)を指します。イエス・キリストが神であると信じ、その教えを守る者がキリスト教徒であると言えます。語源は「香油を注がれ神聖となった者」という意味のギリシャ語のクリストスです。英語 Christ には「救世主」という意味も含まれます。キリスト教会では「キリスト」の言葉はイエスだけを指します。 日本ではイエス・キリストをフルネームのように扱うことが多いのですが、正確には「聖なる王イエス」という呼称です。

①キリストに属するもの、キリストに従うものという意味です。
②イエスキリストを神の子として信じる人の事。
③聖書を読み、お祈りをし、宣教にも携わり、日曜礼拝等の集会に集い洗礼を受けた人。
④自分の力に頼らず神様を信頼したよります。
クリスチャンが自分の力だけで生きると「苦しチャン」になることがある

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主の祈り(しゅのいのり)

イエス・キリストが「このように祈りなさい」と弟子たちに教えてくれた祈りの言葉で、信者の祈りの基本形です。マタイによる福音書第6章9~13節とルカによる福音書第11章2~4節に記されています。内容は教会牧師にお聞きください。

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十戒(じっかい、The Ten Commandments)

エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民が、主なる神の導きによって脱出し、シナイ山で神様との契約の民となった時に、神がモーゼに与えた十の戒めです。出エジプト記第20章1~17節と申命記第5章6~21節に記されています。

(1)「あなたには、私の他に、他の神々があってはならない」
(2)「自分のために、偶像を造ってはならない」
(3)「主の御名をみだりに唱えてはならない」
(4)「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」
   (キリスト教会では、キリストの復活された日曜を安息日として、礼拝を行っています)
(5)「あなたの父と母を敬え」
(6)「殺してはならない」
(7)「姦淫してはならない」
(8)「盗んではならない」
(9)「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」
(10)「あなたの隣人の家をむさぼってはならない」

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イースター(復活祭、Easter)

十字架に架けられて死んだイエス・キリストが三日目によみがえったことを記念する日を、「イースター」と呼ばれます。復活祭そのものは移動祝日といわれるもので、その年によって日付が変わりますが、基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われます。

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ペンテコステ(聖霊降臨際、ギリシャ語の"Pentekoste"

復活したイエスは弟子たちに「近いうちに聖霊が降る」ことを告げて天に上った後、事実聖霊が弟子たちに降り、弟子たちが力を与えられてキリストの福音を宣べ伝え始めたことを記念する日です。つまりそれは教会の誕生日でもあります。イースターの50日後の日曜日ですので、イースターと共に日が動きます。

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クリスマス(降誕祭、Christmass)

イエス・キリストの誕生を祝う日です。12月25日ですが、ただこの日にキリストが誕生したという歴史的資料があるわけではありません。古代の冬至の祭りを教会が取り入れ、キリストの誕生の祭りとしたのが始まりのようですが、これが世界中で定着しました。

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ワーシップ(礼拝、Worship)

教会ではキリストの復活された日曜を安息日として、礼拝を行っています。日本語で通常「礼拝」と呼ばれているものは、日曜日の朝に教会で行っていることで、英語でいうところの「Service」にあたります。最近は、いわゆる「賛美」の部分、つまり、歌を歌って礼拝する部分のことを「賛美礼拝」とか「プレイズ&ワーシップ」という言い方で区別しています(下の項目を参照)。

・神聖な存在に敬意を表して拝むこと。
・人間の本質的な目的。
・神との霊的交わり。神の語りかけ、働きかけに対する応答。

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プレイズ&ワーシップ(賛美礼拝、Praise & Worship)

キリスト教の礼拝形式の一つであるプレイズ&ワーシップとは、世界中の教会で用いられている賛美の方法で、現代的な音楽(Pop系などを中心として)を用いて、自分たちの言葉で神様を賛美しようという試みです。より自由で深い神様との交わりを求める人々がプレイズ&ワーシップを用いております。

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アーメン(Amen)

ヘブライ語で、「本当に」「まことにそうです」「然り」の意味。原意は「安定」。古代ユダヤ教会では、ラビが聖書の一句を読み、続けて参会者が復唱することで、聖書暗記教育をしました。しかし、次第に復唱がめんどうになり、「アメン!」(そのとおり!)とだけ言うようになり、これがキリスト教にそのまま受け継がれたと言われてます。 聖書の中にもそのままの形で出てきます。 教会では、共同の祈りの最後に全員で「アーメン」と唱えることによって、その祈りが参会者全員の共通の思いであることを表しています。

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ディボーション(静思の時、devotion)

言葉としては最も難解かもしれません。ディボーションと個人的に聖書を読みながら、神様との交わりの時間を持つ事を意味します。毎日、朝と夕方に祈りの時間を持つことで十分だと思うかも知れませんが、詩編81:13には神様はご自身の民がご自身に耳を傾けることを願っておられると記されています。

特にヨハネ15:7にはこれがはっきり書いてあります。「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたの欲しいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(ヨハネ15:7) 神のみことばに対する黙想なしに、自分の祈りばかりささげるというのは、神のみこころより自分の考えに従って祈りやすく、そういう場合主は私たちの祈りに答えられません(ヨハネ5:14)。

私たちはみことばを黙想する時間を持つことによって始めて、自分に対する主のみこころが何であるかがよくわかるようになります。みことばに耳を傾けると私たちは御声を聞き、そのみこころに従って祈ることができ、また神様も私たちの祈りに答えることができるのです。

ディボーションとは、みことばを通して神様の声に耳を傾け、また祈りの中で神様にその願いをささげることを意味します。つまり、ディボーションは生きておられる神様との生き生きとした交わりなのです。

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献金(けんきん、Offertory --Offeringから--)

英語の Offertory を日本語訳にした時に「献金」としたと思われますが、単純にお金だけを寄付すると誤解されてしまう訳かもしれません。本来は信仰の証として奉げるの意味です。

この Offertory 根拠は、旧約聖書のマラキ書3:8-11にあります。「わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる」。

神は、私達の収入の十分の一をもって「わたしを試みなさい」と言われてます。そうすればあふるる恵みが奉げた人に与えられると言っている訳です。10人奉げる人がいれば、1人の神に仕える者が生活できます。50人いれば小さな教会が建ちます。200人集まれば広い地域に福音を広める大きな糧が得られます。

決して、貧しい人が献金したもので、豪華な教会を建て、指導者が贅沢な生活を送る訳では有りません。また高額な献金を強制するものでもありません。信仰の証として奉げ、それが福音の為、人の救いのために使われるものであり、それが奉げた人への恵みともなります。
献金は本人の意思に任されます。また、信仰心がまだ芽生えない方が無理をして献金する必要はありません。

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ハレルヤ (Hallelujah)

主をほめ賛えよ、の意。旧約聖書の詩篇で、神を賛美し、喜びを表す語。キリスト教会の聖歌・賛美歌に用いられる。

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ミレニアム Millennium

英語で1000年間を意味する。
語源はラテン語でミレ(千)とアヌス(年)からなる語である。本来はキリスト教用語で、「千年王国」「千年期」を意味する。
「この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。」          新約聖書のヨハネの黙示録20章6節
この聖書の記述による千年という期間を「ミレニアム」という。 すなわち、イエス・キリストを信じた者が復活した時、キリストとともに千年間過ごす期間を言う。 このときこそ正義が支配し、真の平和が実現するときである。 なお学者の間では、この千年の意味とその時期について説が分かれている。

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カリスマ Charisma

カリスマ美容師、カリスマ店員・・・最近は「カリスマ」という言葉が一般の人々に対してもつけられ横行しています。  神から授けられた、超自然的・超人間的・非日常的な資質・能力をいう。
また、大衆の熱烈な支持を得る一種独特な精神性をいう。 典型的な例はヒットラー。 カリスマ的指導者が求められる時代は、ある意味では危険な時代かもしれない。
英語、ドイツ語でもそのままカリスマであるが、元来はギリシャ語で「恵みの(無償の)賜物」を意味する。 マックス・ウェーバーが宗教社会学用語として採用して以来、一般化された。
本来は聖書用語、キリスト教用語として、初代教会時代普及していた。

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西暦 BC AD

キリスト降誕を起点として、紀元前(BC)と紀元後(AD)としている。
BCが、(Before Christ)と英語であるのに対し、ADは、「Anno Domini(主の年に、の意味)」でラテン語である。
中世の教会の計算によって数えられてきたのだが、近年の歴史学、聖書学によって、歴史上のイエスの誕生の年は正しくは紀元前7年ないし4年と考えられている。

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ソドム (とゴモラ)

旧約聖書「創世記」の中に出てくる町の名前。 誘惑に満ちた都市、好色と物欲の渦巻く罪悪のちまたであった。
その結果天からの火で滅ぼされたとされている。 英語でsodomy(男色)のもととなったことで、その暗黒性が推測される。

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ハルマゲドン アルマゲドン Harmagedon

聖書にたった1回(黙示録16:16)しか出てこないのに、とても普及している言葉です。

本来は「メギドの山」という地名だが、黙示録に出てくる終末預言の中で、世の終わりにこの地で終末的大戦が行われる、と記されている。 このことから、善と悪との勢力の最後の決戦の場所とされ、 「世界最終戦争」の代名詞のようになってきている。 さらに転じて、世界の終わりともとらえられている。

「ハル」はヘブル語で、「山」。「マゲドン」は地名「メキド」のギリシャ風のなまり。つまりギリシャ語になったヘブル語である。

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アドベント

ラテン語のAdvevntusは「来臨」の意味です。
イエスの誕生以前の4つの日曜日と1月6日までの期間を言い、待降節と言われます。 救い主イエスが来られた日と、世の審判のために再臨される日を待ち望み、祝いの準備をします。 聖アンデレの日の11月30日により近い日曜日をアドベントの主日と言います。

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安息日

礼拝と休息のために神が定めた日で土曜日にあたります。 ユダヤ人はこの日仕事から解放されて神に礼拝を献げ、魂の安息を得ました。 キリストの弟子達はキリストが死んで三日目の「主の日」(日曜日)によみがえったので、やがて日曜日に礼拝を守るようになりました。

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インマヌエル

マタイ1:23によると、それは「神は私たちと共におられる。」を意味しています。 今から2000年ほど前、イエス・キリストは私たちの世界へ来られ、私たちと共に住まわれました。 それは、紀元前700年代に活動した預言者イザヤの預言の成就でありました。イザヤ7:14参照。

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カトリック

カトリックとは「普遍」の意味があり、ローマ教会の名称に用いました。  組織的には、イエスがペテロに与えた救いを与える鍵を、法皇が受け継ぎ、法王が教団の最高位に立つ階級制度をとります。天に貯えられた諸聖人の功績を、信徒に、彼らの献金や祈りに応えて法皇が分配します。 死者は天国に入る前にいったん煉獄に入りますが、地上にいる人々の祈りや功績によって、煉獄から天国に入ることができると言う教えに立ちます。

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偶像

天地を造られ、聖なる預言者を通して語られ、救い主キリストによって現れた「唯一の神」以外の、人間の想像や人の手によって作られた神々をすべて偶像と呼んでいます。

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再臨

キリストが地上に救い主として来られ、天に帰られた後、終わりの日に裁き主として再びこの世界に来られることをいいます。

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サタン

罪と悪をもって神と人に敵対する霊的存在。 悪魔、誘惑者、批判し訴える者、悪霊どものかしらとも記されています。 神に逆らって、人を神から遠ざけようと活動しています。しかし、終わりの日に神の裁きを受け滅ぼされます。(黙示録12:9-2)

①神に敵対する霊的存在。悪魔。悪霊に命じて人の心に働きかける。しかしサタンは、イエスの十字架と復活によりすでに打ち負かされ、敗北している。サタンの活動は、神の許された範囲に限られる。 さばき
②神は全世界を正しくさばかれる。イエス・キリストを信じる者はもはや罪のためにさばかれることはない。

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サンタクロース

4世紀頃の司教で、北欧に伝わる慈愛の聖(セイント)ニコラスなどの、貧しい者を憐れんで物を献げたり、助けたりした行為が、伝説化され空想上の人物になりました。 サンタクロースの呼び名はこのセイント・ニコラスの発音から来ていると言われています。

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バプテスマ

洗礼のギリシャ語名です。「主に栄光あれ。」の意味です。 ヘブル語。

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プロテスタント

カトリックの教理と伝承にプロテスト(抗議する)の意味から、プロテスタントと呼ばれています。 16世紀に、カトリック教会の腐敗と「免罪符」の制度に対し、ルターが聖書の事実を示して、これに抗議したことによって、彼と彼に続く改革者たちをプロテスタント呼びました。 当教会も、このプロテスタントの一教派である日本長老教会に属します。

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ペンテコステ

50の意味。ユダヤ人3大祭の一つ。春の収穫感謝祭、五旬節、七週の祭りとも呼ばれています。 イエス・キリストが復活して40日目に天に帰られて後10日目に天から聖霊が遣わされて教会が成立しました。 この日を記念して「聖霊降臨日」とも言われます。

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ホサナ

「今救いたまえ」の意味。 ヘブル語。

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アッシュウェンズデー (Ash Wednesday) 日本語では「灰の水曜日」。

中世から西方教会ではこの日に、初期には罪を悔い改めた者が頭上に祝別された灰(前の年のパームサンデーに使われた棕櫚の葉を燃やしてできた灰を使うみたいです。)をかぶり、後期には全員が額に灰の印を受けて懺悔の印としたそうです。 ニューヨーク近辺ではこの日におでこに灰で十字架をかかれた人を見かけます。(カトリックの教会ですることが多いみたいです。)

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感謝祭(Thanksgiving Day) 11月第4木曜日に祝うアメリカの祝日。

Pilgrims (イギリスからメイフラワー号に乗ってアメリカに上陸した清教徒達)はマサチューセッツ州プリモスに上陸したその年(1620年)冬を越すための十分な食糧を得ることができず、半分以上の Pilgrims が死にました。その翌年、彼らは慣れない土地での農作・魚取りなどの指導をインディアンから受け、冬を越すに十分な食糧を蓄えることができました。このことを感謝して、1621年の秋(多分10月頃)近くのインディアン達を招待して収穫の感謝をお祝いしました。これが感謝祭の始まりと言われています。

その後1863年にアブラハム・リンカーン大統領によってアメリカの祝日として制定され、日頃離れ離れの家族が集まり食事をともにしながら1年の収穫を感謝するアメリカ人にとっては大切な祝日です。(日本人にとってのお正月のような感じでしょうか。)ターキー(七面鳥)・パンプキン(かぼちゃ)パイなどが感謝祭の代表的な料理。私達の教会でも毎年感謝祭の前の日曜日に教会で食事を共にします。(今年は感謝祭当日にもあります。)どなたでも大歓迎!・・・詳しくはここをクリック! 感謝祭の由来についてはここやここに(但しどちらも英語です。)詳しく書かれています。

グッドフライデー (Good Friday) イエス様が十字架にかけられた日(を記念する日)。

日本語では「受難日」と呼ばれますが、英語で"Good Friday"と呼ばれる
イエス様が十字架にかけられた時の記事は、新約聖書・ヨハネによる福音書17~19章を読んでみてください。
兄弟姉妹 教会ではクリスチャンであるお互いを、男性なら「・・兄」「・・兄弟」、女性なら「・・姉妹」「・・姉」と呼び合うことが多いです。これはとても不思議に思われることの一つだと思います。兄弟姉妹で教会に通っている人達を兄・弟・姉・妹で区別しているのかな~なんて思われた方もいらっしゃるはず。 新約聖書・マタイによる福音書12章49~50節のイエス様の言葉に基づいて、クリスチャンである私たちは、お互いを神の家族の兄弟姉妹と考えています。(「神の家族」については新約聖書・エペソ人への手紙2章19節もご参照ください。)神様を「お父様」として、私たちはみ~んな兄弟姉妹なんです。

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パームサンデー (Palm Sunday) 日本語では「棕櫚(しゅろ)の聖日」。

イースターの前の日曜日。イエス様が十字架にかけられる前、ロバに乗ってエルサレムに入城された時に、群衆が棕櫚の木の枝をとってイエス様を出迎えたことから。(新約聖書・ヨハネによる福音書12章12節~16節を読んでみてください。) 教会によっては、礼拝出席者に棕櫚の葉を分けたりするところもあります。(私たちが会堂をお借りしているザイオン教会では棕櫚の葉を配っていますね。)

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レント (Lent)

Ash Wednesday (灰の水曜日)から始まるイースターの前までの40日間(日曜日は除く)のことで、イエス様の苦しみと死を思い、またイースターを待ち望む期間。四旬節、受難節、大斎節とも呼ばれます。全教会の代表者が集まった、325年の二ケア会議でイエス様の荒れ野の40日間の断食に習って設定された日数です。

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証し(あかし)

①神様が私たちの身の上になしてくださった御業を他の人々に語ること。そのことを通して、神様が存在する、神様が生きて働かれていることを伝えること。

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アダム

最初の人間。(旧約聖書 創世記1:26) サタンの誘惑により罪を犯し、妻エバと共にエデンの園の外へ追放される。

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エバ

アダムのあばら骨から造られた、(旧約聖書 創世記2:22)アダムの妻。蛇(悪魔)の誘惑により罪を犯し、アダムと共にエデンの園の外へ追放される。

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さばき

神は全世界を正しくさばかれる。イエス・キリストを信じる者はもはや罪のためにさばかれることはない。

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・人間の罪の結果とされる。「罪から来る報酬は死である」(ローマ6:23)
・キリストが、人間の罪の身代わりに十字架にかかって死んでくださった、この救いを信じることにより、人間は永遠の命(天国)を確信し、死の恐怖から解放される。

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使徒

イエス・キリストにより、弟子として任命された12人。彼らはイエスの復活の証人となり、全世界への宣教に携わった。

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信仰

・神の前に、自分が罪人であり、滅ぶべきであったが神の御子イエス・キリストが自分の全ての罪を背負って身代わりに十字架にかかって罪の罰を受け、死んで,葬られ、しかし3日目に復活し、今も生きてとりなしておられること、そして、イエス・キリストによる贖いによって罪が赦され、滅びから逃れ、救われたと信じること。
・信仰を持つことも、それを保ちつづけることも,人間の努力によらず,神の恵みのゆえに与えられ、守られるものである。
・信仰は自分自身が罪人であり、 救いを受ける資格も力もない者であることを認め、受け入れることである。

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救い

・罪の赦し:死にも、人生の破壊も、神との断絶も、永遠の死も罪に原因がある。罪を取り除くことが大切である。
・全人格的解放:肉体・心・霊魂の罪よりの解放。
・救われることにより永遠のいのちが与えられる。

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罪は一般には刑法にふれるものであると考えられている。しかし聖書はもっと深く、罪を取り扱っている。
1.罪とは
・神への不従順(創世記2、3章):神が、この木からは取って食べてはならないと言われたのに対し、蛇(サタン)にそそのかされ、神に従わなかったことに始まる。 ・的外れな生活
・自己中心:欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます(ヤコブ1:14-15)。
2.義人はいない。ひとりもいない(ローマ3:10-12)
3.罪から来る報酬は死です(ローマ6:23)
・肉体の死を意味する:人間は罪の中に生き続けると、肉体も心も痛み、死を招くのである。(へブル9:27)
・多くの破滅を意味する:人生の多くの破滅は、人間の罪に原因がある。
・神との断絶を意味する
4.永遠の死
・罪を持ったままで人生を閉じると、その罪のゆえにさばきを受けなければならない

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天国

神の国

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天使

天で、神に仕える霊的存在。「御使い」ともよばれる。

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隣人(となりびと)

ルカ10:25-37・・・・・自分の近くに居る人でなく、人間としての助けを必要とする人を指す。キリストは民族や習慣が異なっても、そのような区別を超えて「あなたの隣人を、あなた自身のように」愛すること教えられた。十字架の救いはその愛の実践である。

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パウロ

キリスト教とを迫害していたが、復活のキリストに会い回心した、初代教会最大の宣教者。

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箱舟

・(創世記)神は、罪深い人類とすべての生き物を洪水をもって滅ぼされたが、正しい人であったノアとその家族および動物のつがいを箱舟によって救われた。 福音
・神が、イエス・キリストによって全ての人に救いの道が開かれたことを伝えるもの。良い知らせ。罪の赦しと、イエス・キリストを通して神の子とされる和解の知らせ。

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マリヤ

イエスの母マリヤ。

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モーセ

イスラエルの民をエジプトから導き出した民の指導者であり、預言者。

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信仰義認 信仰義認(ラテン語 Sola fide)

ルター神学の中軸をなす概念である。ルターは16世紀初頭当時のカトリック教会の腐敗を、行為義認(善行によって神は人を義とする)説に由来するものと考え、これに対して、人は善行ではなく信仰によってのみ義とされるとパウロ書簡によって説いた。ルターの贖宥状批判はこの説に基づいている。

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聖餐式

パンをキリストの身体、ぶどう酒(またはぶどう液)をキリストの血潮として、キリストが十字架にかけられる前夜の最後の晩餐を想起し、その意味をおぼえるために、会衆が共に預かる儀式です。英語ではHoly CommunionまたはLord's Supperと言います。(カトリックではEucharistです。)当教会では洗礼を受けている人は勿論ですが、意味を理解し、求道中の人も共に預かるオープン聖餐方式を取っています。受洗者のみに限定するクローズド聖餐方式をとってい教会もあります。当教会の聖餐式は毎月第1の主日、イースター、クリスマスに行われますが、年に一度の教会もあります。なお、カトリックでは聖体拝領と呼び、毎週行われます。聖公会も毎週です。それとカトリックの場合のキリストの体は「ホスティア」と呼ばれ薄いせんべい状のものです。配餐方式はそれぞれの会衆の席に配られる、いわゆる分餐方式と会衆が講壇の前まで進み受取る方式があります。なお、牧師が大きなパンをぶどう酒の杯につけ、小さくちぎって会衆に配る教会に出席したことがあります。

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信条

教会が聖書に告げられている福音を信仰の規範として定めたものです。聖書信仰に立つ私たちはこの信条に立ち、これから外れることなく、信仰生活を送ることができます。 またこれから外れた信仰を受け入れません。
信条には使徒信条のほかニケア信条(ニケアイア・コンスタンティノポリス信条)ほか歴史的に多くの信条が定めれてきましたが西神戸教会では使徒信条と日本基督教団の信仰と使徒信条を告白する形式の「信仰告白」を使用しています。 使 徒 信 条 主の祈りはキリスト教の代表的な祈祷文で「主祷文」(しゅとうぶん)「天主経」(てんしゅけい)ともいわれています。

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奉仕(ほうし)

一人一人の賜物、また出来ることに応じて神様や教会や人に仕えること。 (クリスチャンは自分の才能や能力や得意なことは神様から与えられたものと認識し、 それを賜物と呼んでいる)
また強制的に奉仕をさせられるものではなく、喜んで進んでするものです。 例 賛美の奉仕=歌を歌う トラクト配布の奉仕=教会のチラシを配る等 (奉仕と言うだけに金銭的な、ほうしゅう(報酬)は期待しないものです)

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おもに(重荷)・がある

①果たすべき務め・がある
②奉仕に対する責任感・がある
③奉仕をしたいという思い・がある
例 賛美におもに(重荷)がある

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みことば(御言葉)

聖書の言葉。聖書の一節。キリストの言葉

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交わり

コミニュケーションをすることを教会用語では「交わり」と言います

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キリスト教に関するQ&A

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